旧函館区公会堂
明治40年(1907)8月の大火は函館区の約半数、 9000戸近くを焼失した。この大火で区民の集会 所であった町会所も失ったため「公会堂建設協議会」 が組織され、建築資金として区民の浄財を募ったが、 大火後のため思うように集まらなかった。 当時、函館 の豪商といわれた相馬哲平氏は自分の店舗など多く を消失したにもかかわらず5万円の大金を寄付した ためこれをもとに明治43年(1910)現在の公会堂が完成した。
  函館ハリストス正教会
安政6年(1859)敷地内に建てられた初代ロシア 領事館の附属聖堂として建立されたのが始まりで、正 しくは「函館復活聖堂」という。文久元年(1861) 青年司祭ニコライが、ロシアから来函し切支丹解禁を 待って日本で最初にギリシャ正教を布教した。 明治40年(1907)大火で類焼したが、大正5年(1916) 聖堂はロシア風ビザンチン様式で再建された。 この聖堂内部に、円天井を装架しているのがこの様式 の特徴である。昭和58年6月、国の重要文化財 に指定された。

 
 
   
日本聖公会函館聖ヨハネ教会
この函館聖ヨハネ教会は、現在、世界聖公会のうちの 日本聖公会に属する。明治7年(1874)英国聖公会 海外伝導教会の宣教師W・デニングが函館に来て伝導 を開始したのが日本聖公会の北海道伝導の始まりで、 同派の道内における宣教活動の根拠地であった。 明治11年(1878)末広町に初めて聖堂を建て たが、翌年の大火で類焼し、その後も火災などのため 幾度か移転した。度重なる火災による類焼の後、現在 の地に再建されたのは大正10年(1921)の大火後 である。現在の建物は、昭和54年(1979)に完成し たものである。
  カトリック元町教会
元町教会は、安政6年(1859)フランスの宣教師 メルメ・ドゥ・カション(パリー外国宣教会司祭)が仮 聖堂を建てたのに始まるもので、徳川幕府によるキリ シタン追放令以降の日本におけるキリスト教宣教再 開の先駆として横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古 い歴史をもつ教会である。 明治元年(1868)同 宣教会司祭ムニクー、アンブルステル両氏が現地に仮 聖堂を建て、その後、明治10年(1877)同宣教会 司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。   以降、三回の大火で類焼したのち、大正13年(1924) 現在の大聖堂が完成した

 
 
 
日本基督教団函館教会
明治6年(1874)12月に、アメリカからメソジ スト派の宣教師M.C.ハリスが来日し、翌年1月に函 館で伝道を始めた。「函館美以教会」と名付けられた この教会は、プロテスタント教会では国内で三番目に 古いものである。 来函当時は、ドイツ人代弁領事殺害 事件が起きるなど、不穏な世情であったが、ハリスは恐 れることなく布教に身を捧げた。また彼は札幌にも伝 道し、内村鑑三や新渡戸稲造など札幌農学校(現北 海道大学)の学生の指導にあたり、洗礼を授けた。 一 方ハリス夫人は女子教育に尽力し、これがカロライン・ ライト・メモリアル女学校(現遺愛学院)設立の契機 となった。
  旧イギリス領事館(開港記念館)
函館に各国の領事が置かれたのは、安政6年(1859)に貿易港として開港する前後からで、イギリスにおいては、初代領事ホジソンがこの年の9月に着任し、称名寺を宿舎として執務を行ったことに始まる。文久3年(1863)、大工町(現元町)に領事館が建てられたが、慶応元年(1865)に火事で焼失し、以後二回建て直すが、いずれも大火で焼失した。この建物は、大正元年(1912)頃に新築されたもので、昭和9年(1934)の閉館まで領事館として使われた。昭和54年、函館市有形文化財に指定された。